#56 【日本刀専門店 銀座長州屋】邪馬台国 卑弥呼の五尺刀 石上神宮の布都御霊剣 古いのどっち?

Поделиться
HTML-код
  • Опубликовано: 25 окт 2024

Комментарии • 14

  • @花山吹の
    @花山吹の 7 месяцев назад +3

    今回も、深海先生のお話に興奮しました。卑弥呼の五尺刀に関する歴史的な考察にゾクゾクしております。古代史がとても身近に感じられるご説明、誠にありがとうございます。次回も楽しみにしております。

  • @lllasis
    @lllasis Месяц назад +1

    このチャンネルめちゃくちゃ面白いです。

  • @user-fujikofujiko
    @user-fujikofujiko 7 месяцев назад +3

    謎が解き明かされていく、たまんないよ

  • @YO-high
    @YO-high 7 месяцев назад +3

    これは出てきた場所が場所だけに、卑弥呼の5尺刀であって欲しいですなぁ。確証はないのは社長さんの言う通りですがね。

  • @maya-di1kw
    @maya-di1kw 7 месяцев назад +1

    ありがとうございます。23.1cmなら5尺。社長先生、良かったですね。九州の女王国と天皇の血筋とは関係ないのかな?東征で九州から近畿へ移動する時一本は持っていったのかもしれません。東征は卑弥呼時代の後だと思っています。吉野ケ里は既に女王国の一部分だと思う。女王国までの距離、里数は書いたと魏志倭人伝に記載がありますね。卑弥呼の弟さんが男の王でその血筋が東征して畿内へ行ったのかも?多分、女王国は九州の一部分と本州の一部分だと思いますよ。奈良県からは、この時代の鉄器ほとんど出ていないですね。倭国は周旋5000余里 とあり、周りの長さとしている人もいらしゃるが。三国志では通過する長さとして使用されています。周旋5000余里はだいたい九州の長さになり。近畿までは。とどきません。魏志倭人伝では奈良は倭国ではありません。

  • @大谷主水-l6t
    @大谷主水-l6t 7 месяцев назад +2

    また余計なことを書きますが、物部氏の出自は筑後国(筑紫)の瀬高あたりの豪族だった(太田亮著「姓氏家系大辞典」初版)のが、筑後川(千歳川)左岸を遡って瀬戸内海に到り、近畿に到達してニギハヤヒの尊となった。一説によるとその本貫は中東、らしいです。この一説はちょっと受け容れられませんが。mond

  • @著著
    @著著 5 месяцев назад +1

    これが卑弥呼の刀だったら。。。こんな気軽に触れ無くなっちゃうから嫌ですよねー!笑

  • @異端ネロ
    @異端ネロ 4 месяца назад

    22:47 国家が出張って来て「それを調査させてください」からの「国宝にします」なんてなったら困る。

  • @evilcutter
    @evilcutter 6 месяцев назад +1

    いずれ蕨手刀の話もお伺いしたいです。

  • @ayukawaryuto
    @ayukawaryuto 7 месяцев назад +2

    自然放冷で曲がらないってのが凄いですね😊
    針金みたいのに引っ掛けたのかな?😮
    すると環は引っ掛けるための構造かも知れませんね😅
    卑弥呼の太刀ですけど😮
    九州では実は大量の古墳が破壊されています😭
    もう失われた可能性もあるんです😢
    残念ですけど😢

  • @酒井健吉-h1d
    @酒井健吉-h1d 7 месяцев назад +1

    社長の何とも返事のできないこまった顔を見ていながらさらに追い打ちをかける、面白くしたいのだろうけど、やりすぎでしょう。でも確かに面白く興味深かった。

  • @taroika3699
    @taroika3699 7 месяцев назад +2

    鉄の成分分析すてば、どこで作られた刀か解るかもと思うけど。

  • @albatrossupdraft7151
    @albatrossupdraft7151 7 месяцев назад +1

    😅

  • @西田英二-q7k
    @西田英二-q7k 7 месяцев назад +2

    現時点で2本しか発見されていないからと言って、卑弥呼に贈られた刀と決めつけるのは早計に過ぎます。社長の言われるように、同時代のものとして楽しむべきです。